2020年6月9日

 2.モーツアルト レクイエム

 

 モーツァルトがレクイエムを作曲するのにあたって、ヨハン・ミヒャエル・ハイドン(1737~1806)の事を忘れる訳にはいかないだろう。モーツァルトはM・ハイドンの「大司教ジキスムントの為のレクイエム ハ短調MH.155」を聴きとても感動したと伝えられている。ハイドンの作品はこのジャンルにおける最も価値ある一つに入れるべきだろう。

 モーツァルトはレクイエムを作曲するのにこの作品を重要な手本としたと言われている。ハイドンの冒頭の入祭唱、そしてキリエを聴くとモーツァルトへの影響をはっきりと感じられるだろう。ハイドンは交響曲の父と呼ばれるフランツ・ヨゼフ・ハイドンの弟でモーツァルトの19歳年上になる。ウィーンの35km程東のローラウで生まれた。少々大酒呑みだったようで、モーツァルトの父であるレオポルトは余り良くは思っていなかったようだ。しかしモーツァルトが家族に出した手紙に頻繁に出てきており、かなり親しかったようだ。M・ハイドンがヴァイオリンとヴィオラの為の二重奏曲を委嘱され作曲していた最中に急病になり、モーツァルトがそのピンチを救っている。それが現在残されている有名なモーツァルトの2曲のニ重奏曲になる。

  ハイドンは1751年にモーツァルトの後任としてザルツブルクの宮廷と大聖堂のオルガニストになり、その後ウィーンの宮廷にも呼ばれたが固辞してザルツブルクに留まった。ザルツブルクがフランス軍に占領され大司教が去った後も残り、生活の援助を兄から受けながらこの地で亡くなっている。交響曲は40曲以上を作曲、さらに協奏曲や歌劇、3曲のレクイエム等多数の優れた作品を残している。彼の弟子には歌劇「魔弾の射手」の作曲家で、ドイツロマン派のオペラ様式を確立したカール・マリア・フォン・ウェーバーがいる。

  長い間モーツァルトの交響曲第37番と思われてきた曲はM・ハイドンの交響曲第25番にモーツァルトが序奏を付けたものだった。またモーツァルトのK.291「管弦楽のためのフーガ」もハイドンの交響曲ト長調P.43だった。この交響曲の終楽章を聴くとモーツァルトのジュピター交響曲第4楽章のフーガは、モーツァルトが晩年研究していたバッハというよりM・ハイドンの影響だと思えるだろう。M・ハイドンの対位法の素晴らしさは、モーツァルトに大きな影響を与えたまたシューベルトもハイドンを非常に尊敬していたようで彼のミサ曲においてはハイドンの影響が色濃く表れている。ハイドンは何故か自作の出版を認めなかった為に死後急速に姿を消すことになってしまった。現在は残された手書きの楽譜から演奏される機会が増え、兄フランツに匹敵する作曲家だったと認められつつある。

 

 

 

2020年5月26日

1.モーツアルト レクイエム

   

    モーツァルトは1791125日になったばかりの0時55分に息を引き取ったと言われている。その数か月前の8月末、見知らぬ男性が突然現れ匿名でのレクイエムの作曲依頼をした。高額の前金と完成後に残りを支払うとの約束だった。但し作曲者がモーツァルトだというのを伏せ、著作権を依頼者に与えるとの条件付きだった。

 

依頼者が公けにならなかったことから、モーツァルトは死の世界からの依頼で自分のレクイエムを作曲したとの話が生まれた。

1964年になって経緯の記録がウィーン郊外のヴィーナー・ノイシュタットで見つかった。

この匿名の人物はフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵というシュトゥパハという場所の領主で、使者は伯爵の知人フランツ・アントン・ライトゲープという人物であることが明らかになった。この記録は伯爵の音楽仲間で聖歌隊の指揮者が残したものだった。シュトゥパハはウィーンとグラーツの間にある。伯爵が住んでいた邸宅は地元ではシュトゥパハ城と呼ばれ、1782年にローマ教皇ピウス6世がオーストリア皇帝ヨーゼフ2世にウィーンで会うための旅の途中に滞在している。森の中の落ち着いたこの美しい城は1945年のソビエト軍の侵攻の際、火災で破壊された。現在は修復され「モーツァルト最後の城プロジェクト」というのが進行中らしい。伯爵はアマチュア音楽家で、有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの作品として発表していた。モーツァルトはゴーストライターとして契約された事になる。17912月に20歳という若さで亡くなった妻の追悼のために、モーツァルトにレクイエムを作曲させようとしたというのが真相だった。この曲を毎年命日に演奏するつもりだったようだ。1786年に結婚した当時、妻はまだ15歳で伯爵自身は23歳だった。ことのほか妻を愛していたのだろう、伯爵はその後再婚をせずシュトゥパハ城で36年後に亡くなるまで召使を除いて一人で余生を過ごした。

 

伯爵が亡くなった後、妻の遺体と共に二人用の棺に夫婦一緒に地下聖堂に安置された。

 

モーツァルトがレクイエムを作曲していた時期は、歌劇「魔笛」「皇帝ティトゥスの慈悲」クラリネット協奏曲の創作と重なっていたと考えられる。忙しく体調が良くないなか、レクイエムの作曲を諦める事はなかった。最後までジュースマイヤーにレクイエムについての指示をし、臨終はまだ口でレクイエムのティンパニの音を示そうとするかのようだったとモーツァルトの妻コンスタンツェの妹ゾフィーが、姉アロイジアに宛てた手紙に書いている。

 

ジェスマイヤーが完成したレクイエムのスコアは伯爵が亡くなるまでシュトゥパハ城にあったが、現在はオーストリア国立図書館で展示されている。

 

 

2020年5月10日

 No.35のリサイタルは2020年12月16日(水)に変更決定しました。

毎年一回、28年続いてきた「現代のチェロ音楽コンサート」は残念ながら今年は開催しないことになりました。

 

ベートーヴェンの誕生日は分かっておらず、1770年12月17日に洗礼を受けたとの記録があるのみ。そのため一応12月16日を誕生日と捉えられている。出生地のボンではベートーヴェンハウス財団の基で昨年の12月16日から今年の12月17日まで、生誕250周年記念音楽イベントが行われる予定だった。しかしこちらも新型コロナウイルスの影響で全てストップしているようだ。

生誕の日と考えられている12月16日には無事250周年を祝いたい。

 

 

2020年5月9日

新型コロナウイルスの影響でNo.35のリサイタル(6月9日)の延期を決定。

日程は近々発表の予定。

新しい時代が来るという話があるが、生の演奏が何よりも素晴らしいと感じなくなるような時代にはなって欲しくない。

生きるためには呼吸が無くてはならない。

音楽も同じだ。

ステージ上も観客席も同じ空気を吸い、一緒に息をして音楽を感じる世界に戻って欲しい。

2006年に私が編曲したモーツァルトのレクイエムの弦楽四重奏版。

昨年の8月から改訂をしていたのだが、新型コロナによって作業が進むという皮肉な事になり一応終わった。いつ生の音を出せるかは分からないが、出来るだけ多くの場所で多くの演奏家に弾いて貰える日が来るのを楽しみにしている。

この「音楽のつぶやき」で、13回に及んだ文屋版のレクイエムコンサートのプログラムノートに書いてきた文章を基に、時々この作品について述べようと思っている。

今年、生誕250年になるベートーヴェンが「あまりにも荒々しく身の毛がよだつもの」と発言したと伝えられているモーツァルトのレクイエム。今、どう心に響くのだろうか。

 

 

2020.3.12

2020年3月26日BUNYA-TRIO コンサートついて

    8月11日(火)19:00に延期が決まりました。

 演奏家は音を出すことで社会に貢献できると思っています。

良い音楽は健康に繋がるとも。

今回、コロナウィルスにおいて治療薬等、好転の兆しが見られるのを

期待して判断を延ばしてきました。

最終的に、お客様に気持ちよく聴いていただこうと延期を決定致しました。

既にチケットを購入されたお客様にはご迷惑をおかけする事になり

大変申し訳ございません。

購入されたチケットについては、8月11日にそのまま使用可能です。

また、払い戻しが必要な方はチケットとチラシに書かれている

マネージメントにお問い合わせ下さい。

オリンピックが開催されれば、その後すぐのコンサートになります。

充実した音楽を聴いて頂けると思います。

ご来場、宜しくお願い致します

 

2019.8.6

 今年は13回行ってきたモーツァルトのレクイエムの弦楽四重奏版(文屋治実編曲)のコンサートは行なわないことにした。年に一回、モーツァルトが亡くなった12月に演奏してきたが、65歳になりここで少し時間をかけて自分の編曲の整理、見直しをすることにしたため。

第1回のコンサートはモーツァルト生誕250年の2006年。毎年楽しみにして頂いてきたお客様には申し訳なく思いつつ、本当に感謝をしている。

 多分2005年だったと思うがベートーヴェン時代に編曲された楽譜で演奏しているCDをドレスデンでたまたま見つけた。そのCDの演奏を聴いて楽譜の不備をとても強く感じ自分で編曲することにしたのだった。それから毎年演奏してきたことで、この楽譜にはいろいろな思い出が詰まっている。しかしこれから、また新たな勉強が出来ることに喜びを感じようと思う。

出来るだけ早く改訂版での演奏をしたいとは考えているがいつになるかわからない。

仕事だと早いのだが、予定のないものはつい後回しにしてしまう。

どこかで演奏の機会を与えてくれればスムーズにはかどるのになぁ。

なんて思いながらボーっと数種類のスコアと今まで使ってきたパートを眺めている。

 そして、今年のリサイタルはベートーヴェンを4曲。

ホルン・ソナタのチェロ版はベートーヴェン本人がチェロパートを書いたと伝えられている。

最初にホルン・ソナタが出版された時には既にチェロのパートの楽譜も付けられている。

さらにベートーヴェンの様々な時代のピアノとチェロの為のソナタを3曲。

来年はベートーヴェン生誕250年。モーツァルトとベートーヴェンは14歳しか違わない。

モーツァルトに続いてベートーヴェンの生誕250年ということに、自分の心の中にも様々な想いを抱きながらのコンサートになると思っている。

 

 

 

 

2018.6.22のつぶやき

 6月25日の「現代のチェロ音楽コンサート」では女性の作曲家の作品を2曲取り上げる。20世紀以降の作品を演奏している「現代のチェロ音楽コンサート」では、今回のも入れると96曲の作品を取り上げている。現在は多くの女性が作曲活動をしているので、男女を区別する必要はないのかもしれない。それでも私が取り上げた女性作曲家の作品は7曲しかない。私の勉強が足りないだけかもしれないが、20世紀になってもまだまだ女性の作曲家は多いとは言えないのかもしれない。

記録として残っているなかで一番古い女性は12世紀のヒルデガルト・フォン・ビンゲンになる。ビンゲンは宗教的な観点からも、とても重要な人物ではある。それ以外にもドイツ薬草学の祖と言われ、彼女が考えた健康的な料理は医学的にも現在大変注目を浴びている。ビンゲンは女子修道院長であり、そこで歌われる素晴らしい聖歌を作曲したことで作品も残った。

 

 モーツァルトの姉、マリア・アンナ(1751~1829)は幼少の頃から才能を認められていたが成人になるにつれて活躍の場が少なくなった。作曲家や演奏家として成人の女性が社会に出るのが許される時代では無かった。

 

女性の音楽家として表舞台に初めて現れたのはメンデルスゾーンの姉ファニー(1805~1847)だろう。しかし彼女も女性が職業を持つことが難しい時代であり、父から自分の才能を世に出そうと思わないようにと告げられている。弟もまた姉の名前で作品が出版されるのを反対している。それでも彼女は作曲家のグノーや良き理解者であった夫のおかげで作品を書き続けることが出来た。またピアニストとしても26歳で弟のピアノ協奏曲第1番でデビューをしている。

 

ロベルト・シューマンの妻クララ・シューマン(1819~1896))は当時最高のピアニストとして認められてはいたが、彼女が作曲した作品が世に出ることに対してシューマンはあまりよく思っていなかったのではないかとも伝えられている。

 

作曲家の妻で作曲している人にはアルマ・マーラー(1879~1964)もいるが、個人的に良いと思っている人にコダーイの妻、エンマ(1863~1958)がいる。彼女の作品にチェロの作品は見つからないが、歌曲やピアノの作品はとても魅力的だ。

今回のコンサートで取り上げる中村洋子さんの無伴奏チェロ組曲は、同じく日本を表現している黛敏郎作曲「無伴奏チェロのための文楽」の緊張感溢れる音楽とは違い、日本の美しい自然が流れる。第2楽章の「山笑う(春の始動)」では春が戸を叩き、終楽章の「青田波」では青々とした田園の中に風がスーッと抜けていく。

 

今後は女性の素敵な作品がどんどん増えていくことだろう。

 

 

 

 

2018.5.16のつぶやき

 

  先週札幌で5カラット、5億円はするだろうというダイヤモンドが公開されたニュースを見た。ガラスのケースに保管され、警備員がしっかりとガード。そのニュースを見ながら数億円の弦楽器を自分で持ち、ガードマン無しで歩き回る演奏家は凄いと変なところで感心していた。

 

 変といえば音楽家が時折使う「普通に演奏しましょう」という言葉。

何故かこの言葉がでると辺り触らず、一人目立たず周りに迷惑をかけない演奏になる気がする。何故、人それぞれ自由に思いのままの演奏にならないのだろう。普通って難しい。

 五線紙から何かを読み取りどう表現するかは演奏家が一生勉強し続けなければならない課題だ。じっと見ているだけで新しいイメージが湧く時もある。楽譜に書かれているから演奏するのではなく、何故こう書かれているかを考えることで様々な答えが浮かぶ。それを人に伝えると、普通じゃないと言われる時もある。

 

アクセント記号一つにとってもアタックをつける、その音を歌うという印、ため息のようなものなど、その他多くのイメージが湧く。もちろん古い作品であれば作曲家は当時どのような状態だったのか、作曲当時の楽器は現在とどのよう違ったのかなど、いろいろ調べてはみる。しかし最終的にはいまの自分はどう演奏したいのかが一番重要になるのだろう。そして、それを独りよがりではなく聴いてくださる方々に伝えるのが演奏家の仕事になる。

 

それが普通ではないと言われても、自分にとっては当然で普通の事だと思って演奏したい。ダイヤモンドのニュースを見ながら、

こんなことを考えている自分は変なのかなぁ、こんな暇があるなら練習すりゃ良いのに。こわいわけでもないのになんでぼーっとしているのだろう。と、今日も北海道民にしか分からない言葉でブツブツつぶやいている。

 

    

 

2018.5.9のつぶやき

 

来月625日「現代のチェロ音楽コンサート」

最初の曲は中村洋子さんが作曲した無伴奏チェロ組曲。

組曲は2007年から年1回づつ作曲、

2012年に全6曲が完成されたようだ。

全ての曲の楽章に日本らしい題がついている。

 

今回演奏するのは第1番。

  1.雪国の祝いの歌  2. 山笑う(春の鼓動) 3.惜春 

  4.山の神への祈り     5.田植え歌~五月雨~田植え歌 

  6. 青田波

 

北海道民の私は初めの「雪国の祝いの歌」から、

本州の暖かく清々しい風を感じてしまう。

もしかすると、この雪国は既に春が近いのかもしれない。

本州の農村を彷彿させられるこの無伴奏組曲は、

黛敏郎作曲「無伴奏チェロのための文楽」とは全く違う 

日本の音楽が流れ、冬から夏にかけての

美しい日本の自然が浮かび上がる。

 

たまに江差追分をチェロで演奏する私だけれど、

この組曲もチェロをやっていて良かった、

と思わせてくれる。

 

毎年チラシは人気があるこのコンサート。

今年はいっぱいの客席にならないかなぁと、

ブツブツ呟いている。

                                                     

「現代のチェロ音楽コンサート」

62519 

ザ・ルーテルホール札幌                                                

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